eroticism salon -2ページ目

エロティシズムの性格

「エロティシズムは、性的活動のなかには存在せず、自然の目的と見なされた生殖行為からは独立した、一つの心理学的な探求にほかならないが、一方、形而上学の角度から眺めると、何よりもまず、ある限界の踏み越え、規則と禁止に対する侵犯である」

- ドニ・シュヴァリエ -



この言葉は、今までの総まとめのような言葉である。

考えることができるから、エロティシズムが存在する。
そして、社会という枠があるから、エロティシズムは魅惑的に輝くのである。


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禁止と侵犯

違反は禁止を除去するのではなく禁止を高めるのだ。そこにエロティシズムの原動力がひそんでおり、同時にまた、そこに宗教の原動力が伏在しているのである」

- ジョルジュ・バタイユ -



この感覚は、一度は誰でも味わったことがあるのではないでしょうか。
もし、人間社会に法律や道徳がなく、無法地帯であったなら、エロティシズムは存在しないでしょう。
してはいけないことをこっそり行う時、人は罪悪感とともに、一種の快感を味わうのだから。

宗教とエロティシズムの関係は、また後で紹介します。


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男女のエロティシズムの違い

「人間の男性が女に欲望を感じるための、最も大きな働きを示すものは、嗅覚でもなく、触覚でもなく、聴覚でもなく、もっぱら眼の働き、視覚である

- 澁澤龍彦 -



男性と女性のエロティシズムの感じ方は全く異なります。

男性は視覚を通して得られた情報に対して脳が判断を下し、脳内で興奮するといわれています。
対する女性は、純粋に感情や愛情でエロティックの度合いが増します。

だから、性交のとき、多くの女性は目をつぶり、男性は目で見ることによって、いっそう欲望をかき立てるのかもしれません。


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生殖とエロティシズム

「(死との結びつきで捉えられた)エロティシズムは、あらゆる実用的な活動(生殖や子供への配慮をふくめた、あらゆる社会的活動)に対立するものであって、ただそれ自体を目的とする狂気の欲望なのだ」

- 澁澤龍彦 -



この文の後には「だからエロティシズムは悦楽、熱狂、錯乱、狂気などへ高まる宿命を持っており、祭りとか、饗宴とか、遊びとか、戦争とか、犯罪とか、あるいはまた芸術とか、宗教とかの方向を目ざすのである」と続きます。

秩序とか、社会性などというものの枠にはエロティシズムは決して入らず、むしろそれらを破壊する方向に働くものであるということです。

生殖目的の性行動は、少しのエロティシズムを含んではいない、ということです。


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このブログについて

今更ですが、自己紹介も含め、このブログの趣旨を書かせて頂きます。

私は現在、某大学院で倫理学を専攻し、「エロティシズム」を題材に修士論文を執筆中です。

修士論文を書くにあたって調べた資料等をもとに、読者の方にわかりやすく「エロティシズム」を紹介することで、「エロティシズム」についての理解をより明確にしようという意図の元に、このブログを書いております。

私はもともと極度の怠け者です。
修論を書くというつらい作業が嫌で、よく逃げ出すのですが、さすがに卒業しないといけないので、ブログという手段を使ってなんとか修論を書く気を起こそうというわけなのです。

ですから、感想や質問等のコメント、トラックバックは大歓迎です。
やや堅い文章で、しかも内容が内容なだけにアレなんですが・・・(笑)
気兼ねなく書き込みしていってくださいね。

「見ること」と「見られること」

『「見ること」と「見られること」の弁証法も、性器の隠蔽および強調も、それがイマジネールな世界と関わりを持つだけ、エロティックな度合いを高めることになるような気がする』

- 澁澤龍彦 -


「見ること」と「見られること」の弁証法というのは、例えば、露出症者や覗見症者の中に見られるような「見たいという欲望」と「見られるという不安」の混合です。
これは露出症者等に限らず、一般に認められることだと思います。

「視線」というのは、エロティシズムに大きな影響を与えています。
人間は自分や他人の「視線」を意識することで、想像力を働かせ、エロティシズムを作り出しているのです。

これが、他の動物や植物のセクシュアリティと人間のセクシュアリティとの決定的な違いでしょう。

行為とエロティシズム

「愛欲の行為は、それ自体では別にエロティックではない。そのイメージを喚起したり、呼び寄せたり、暗示したり、さらにはそれを表現したりすることが、エロティックなのである」

- ロー・デュカ -


行為それ自体は、食べたり飲んだりするのと変わらない、人間の一行動にすぎない、ということです。
しかし、人間は思考し、想像することができ、またそれを、絵や文章や劇など、様々な方法で表現することができます。

だから、エロティシズムは人間に特有のものなのです。

エロティシズムとは

「エロティシズムについては、それが死にまで至る生の称揚だと言うことができる」

ジョルジュ・バタイユ -



人間は本来「死」に憧れ、「死」と融合したいと願っている、とバタイユは言います。それは言い換えれば思いきり「生」を感じる、ということです。

生きながらにして「死」にもっとも近づく行為が、エロティシズムなのです。

エロティシズムの世界へようこそ

ここでは、素敵な哲学者の言葉を、ひとことずつ綴っていきたいと思います。

エロスは人間の根源的な世界です。

だから、惹かれるのです。

生と死が交錯する、暗く、美しい世界を、一緒に覗いてみませんか。