「見ること」と「見られること」 | eroticism salon

「見ること」と「見られること」

『「見ること」と「見られること」の弁証法も、性器の隠蔽および強調も、それがイマジネールな世界と関わりを持つだけ、エロティックな度合いを高めることになるような気がする』

- 澁澤龍彦 -


「見ること」と「見られること」の弁証法というのは、例えば、露出症者や覗見症者の中に見られるような「見たいという欲望」と「見られるという不安」の混合です。
これは露出症者等に限らず、一般に認められることだと思います。

「視線」というのは、エロティシズムに大きな影響を与えています。
人間は自分や他人の「視線」を意識することで、想像力を働かせ、エロティシズムを作り出しているのです。

これが、他の動物や植物のセクシュアリティと人間のセクシュアリティとの決定的な違いでしょう。